ra*ka

勢いの無さに定評のある似非文芸ブログ。

ひのさか#45「も」

Posted 茅野らほい / 2007.07.19 Thursday / 21:09

「終わっ、たぁ……」
 時計の針は正確に九〇度のL字を描いていた。翌日が休みでもなければ、この時間まで作業はちょっと厳しいものがあるな。うちは保存したファイルを圧縮して、開きっ放しだったメッセンジャーのウィンドウをアクティブにする。
「あ、まだ落ちてないや」
 オンラインのままだったゆりちゃんとの会話ウィンドウに、うちは手早く呼びかけの言葉をタイプした。

   えな の発言:
    ゆりちゃん起きてるー?
   ゆうり の発言:
    ギリギリ
   えな の発言:
    原稿ちゃんできたできたー。転送おk?
   ゆうり の発言:
    サイズどんくらい? 何なら明日直でもいーよ
   えな の発言:
    んーと15Mくらいかな? ファイルはひとつだけだし
   ゆうり の発言:
    なら平気かなあ
   えな の発言:
    じゃつけっぱにしとくね。ちょっと風呂りんぐ!
   ゆうり の発言:
    いてらー
   えな の発言:
    いてきまー

 転送速度を確認して、うちは着替えを手に浴室に向かった。
 ……この時間だと、シャワーは無理かな。
 両親の部屋を窺ってみると、案の定明かりは点いていない。足音を忍ばせながら、うちは廊下をひたひたと歩いていった。
 浴室の洗濯機の上に着替えを置くと、手早く服を脱いで、ドアを開ける。
「二回目だし、まあいいか」
 湯船にそっと脚を差し込んで、まだ冷めていないのを確かめる。うん、大丈夫だ。
 体温くらいのお湯に浸かって、うちは目を閉じる。ゆらゆら。ふやふや。


 部屋に戻って、スリープに入っていたパソを復帰させる。ウィンドウには転送が完了したことを知らせるアラートと、退席中になったゆりちゃんの表示。
 一応、声だけはかけておこうと一言残した。

   えな の発言:
    たらもー
   ゆうり の発言:
    あ、おかかー。意外と早かったね
   えな の発言:
    あれ、退席じゃないん?
   ゆうり の発言:
    いやー、色々とあるんだよ、うん
   えな の発言:
    意味が
   ゆうり の発言:
    んー、ちょい話かけられたくないひとがね
   えな の発言:
    何かあったんか
   ゆうり の発言:
    いや部長なんだけどね……あー、物は相談なんだけど
   えな の発言:
    何だケンカでもしたか
   ゆうり の発言:
    うーん、そういう訳じゃ
   えな の発言:
    じゃ告られたか
   ゆうり の発言:

   えな の発言:
    おいこら、空白やめ
   ゆうり の発言:
    ううううう

 それきり、発言が止まる。一分、二分、――三分。うちは携帯をがしっと掴み、着信履歴からゆりちゃんの番号を探して通話ボタンを押した。ぷるるる、ぷるるる、ぷるるる。

「もしもー」
「……ピアノがー」
「弾けーたーならー」
「切るよ」
「だああ、そうじゃなくて」
 自分だってノッてきたくせに、ゆりちゃんは不機嫌そうに言った。ベッドに腰掛けて、うちは髪を拭きながら右耳に集中する。
「この状況でいきなし電話きたからビビったじゃないか」
「だってメッセじゃまだるっこしんだもん」
「ん……うん。まあ、そうね」
「で、何。部長に告られたってのはマジっすか」
「――マジ、なんだよねぇ」
「そか」
「んむ」
 しばらくの沈黙。この微妙なハム音のようなノイズが苦手だ。ゆりちゃんの呼吸する音と、バックで流れている音楽が僅かに聞こえている。何聴いてるんだろう。
「それで、何で話したくないのさ。断ったの?」
「そりゃ即答でゴメンナサイだわよ。だから気まずいっつか」
「ゆりちゃん、部長好きなのかなって、思ってた」
「……それ、ひどくない?」
「え、だって」
「わたし、あなたが好きって言ったじゃない」
「うん、でも」
「信じてなかったんだ」
「そんなこと、だって」
「わたしは、笹本恵那が、いちばん、好き」
 その言葉に、うちはしばらくの沈黙。どのくらい、うちはそうしていただろうか。ようやく言葉を搾り出したのはいいけれど、思うように声が出ない。
「――た、よ?」
「聞こえない」
「本気で、信じちゃってたよ!」
「なら、ならいいじゃん」
「でも、でも」
「でも何?」
 不安だとか、何かそういったドロドロしたものがあった。気づいていなかった訳じゃない。見ないように、ずっと目を背けていただけだ。うちは、それを、初めて、言葉にする。
「うち、今までずっとずっと、ゆりちゃん、見てて、でもゆりちゃんは、うちのことなんて、なのに、部長には、だから、うち、いっつも苦しかったのに、ゆりちゃんから好きって、いきなりで、そしたら何か、夢みたいじゃない、舞い上がっちゃって、ずっとふにゃふにゃした感じで、うち、うち、嘘じゃないって、信じてたけど、でも不安でっ」
「……笹本ちゃんよ」
「……っぐ、ん、うん」
 手にしていたバスタオルを握り締めて、受話器からこぼれる彼女の声を懸命に拾う。
「わたしが、そんなノリと勢いであんな風に言ったって、思ってる?」
「分かんないよ、分かんないから、怖いんじゃん……だから、さっき部長の話聞いて、それで」
 今度は彼女が黙り込む番だった。うちは奥歯を噛み締めて、言葉を待つ。
「恵那」
「……ふぇ」
「わたしだって、ずっと見てたのに。恵那が笑ってるとこも、怒ってるとこも、泣いてるとこも、それに――私を見ててくれるとこだって。でも、それがどこまでホントなのか、分からないし、聞けないし。わたし、あなたのことが分からなかった。分かった振りだけしてた。言ったら、嘘だよなんて言われるかも知れないって、怖かったの。でも、ホントのあなたが、この間、初めて見えたって思ったから、だから。それとも……、あれも?」
「ホントだよう! 全部、全部ホントなんだから!」
「……初めて聞けた」
「うちも、名前で呼ばれたの、初めてだ」
「……そか」
「……そうだよ」

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